カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.6.13(火)

特筆することのない一日。
今日の読書状況を羅列していく。

 

『物語の作り方』ガルシア・マルケス
p130~p152。
ガルシア・マルケスシナリオライターたちが、脚本をつくっていく様子が描かれる。
ああでもないこうでもないと言いながら、ストーリーが出来上がっていく過程が面白い。
今日読んだのは、バイオリニストが実はテロリストで、それに気付いた妻がどうするかみたいなストーリー。
最初はシンプルだった話が、何人もの脚本家が寄ってたかって肉付けしていくうちに物語の面白みが増していき、感心してしまう。


虞美人草夏目漱石
p99~p114。
藤尾と糸子、女同士の緊張感ある会話にひりひりする。

藤尾と糸子は六畳の座敷で五指と針の先との戦争をしている。凡ての会話は戦争である。女の会話は尤も戦争である。

出典:夏目漱石虞美人草』(新潮文庫)

 

『にんじん』ルナール
p39~p52
ある日、にんじんと兄は畑仕事をしていた。
兄がつるはしを振りかぶった時に、先端が後ろにいたにんじんの額に当たってしまう。
にんじんの額から血が出ているのをみて、兄は卒倒する。
家族のみんなが、血を出しているにんじんではなく倒れた兄の方を心配しているのがふびんでならない。

つるはしが額に刺さった時、悲鳴をあげたのはにんじんではなかった。そんなことをしても誰も心配してくれないと、これまでの経験でよくわかっていたからだ。

出典:ルナール『にんじん』(新潮文庫)

にんじんこの気持ちはなんとなくわかる。
だからこそ気の毒だ。

 

『差し出し方の教室』幅允孝
p130~p166
ブックディレクターとして選書を仕事にしている著者が、別のジャンルの「差し出し手」と対話をし、どのように本を差し出すか考えたことが語られる。
今日読んだ部分に登場したのは、ワインバーの店主。
ソムリエではなくサービスマンでありたいという姿勢が印象的。

 

『父ではありませんが 第三者として考える』武田砂鉄
p6~p35
著者の武田砂鉄氏がある日、本屋の育児書コーナーを眺めているときに、男性目線で語られる育児書が増えていることに気づく。
同時に、女性に向けては子どもがいないこと、子どもを産めなかったこと、あるいは失った経験が書かれた本がたくさんあるのに、男性に向けての本は「ある」と「いる」状態のものしかないことにも気づく。
そして父親ではないという状態からの言葉があってもいいのではないか?と考えたところから出発する論考。
著者の、ものごととの対象との距離感が絶妙だなと感じる。


今日読んだのはこんなところだ。
なかなかまとまった時間を取るのが難しいので、細切れ読書になる。