カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.10.11(水) 「白梅の女」

なにかとバタバタした一日を過ごした。
そういう日も悪くない。
良くもないけれど。
こういう日は一日の終わりに瞑想でもしたらいいのかもしれない。
いまのところその習慣はないし、今後も習慣になりそうにはない。

バタバタする一日が始まる前の、朝の静かな時間に円地文子「白梅の女」を読んだ。
北鎌倉の梅の木が見える庭がある家で静かに暮らす主人公、たか子のもとに訃報が入るところから回想が始まる。
学生時代、たか子と恋愛関係にあった師、桂井先生の訃報であった。
当時、妻子もいた桂井先生との不貞な恋愛は、たか子の妊娠により幕を閉じる。
たか子の父親によって二人は引き離され、生れた子は養子に出され、のちにたか子は実業家と結婚生活を送る。
夫が亡くなったあと、北鎌倉の家で静かな生活を送るたか子と桂井先生が三十年振りの再会を果たす様子が描かれる。

 たか子はそのあと、庭づたいに茶席へ二人を案内する序に、例の山の中腹にある自慢の紅梅の老木も見せた。
「花のつく樹は寿命が短いと言いますけれど、あの木は二百年にはなっているのではないでしょうか。尤も枝も折れるのが多いし、年々花も尠なくはなって行きますけれども、やっぱりこの家の前の御主人があとから買って植えたのとは品が違うような気がしますわ。お寺の山のものなんですけど、眺める権利は私だけがもっていますの」
 たか子はにこにこしながら、しんとした梅の香りの漂って來る夕暮れ近い庭に立って、山の中腹に墨色と臙脂色の鮮やかな配色を見せて枝を広げている紅梅の老木を見上げていた。

出典:円地文子「白梅の女」(ポプラ社『百年文庫 10 季』所収)

再会の場で、なんとか平静を保とうとする桂井先生に対し、終始落ち着いた態度で接するたか子の姿は美しい。
円地文子の円熟した筆にうならされる思いで一日が始まると、そこから先はバタバタしだした。

さて、日中のばたばたしている中でもほほえましい場面はいくつかあった。
くどうれいん風に言えば、「シーンは急にやって来る」。

長男が授業で作った空気でっぽうを持って帰ってきた。
それをみた娘が私もやりたいと、スポンジをポンポン打ち、三兄妹で無邪気に空気でっぽう遊びに興じている姿は、急いた気持ちを和らげてくれるようだった。

もうひとつは娘と風呂に入ったとき。
服を脱ごうとした娘が、ヨシタケシンスケの『もうぬげない』状態で困っていた。
おかしかったので、手を貸す前にしばらく眺めておいた。


f:id:cafeaulait-ice:20231012000349j:image