カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

決意の朝 2020 元旦

ブログ始めました

あけましておめでとうございます。

 

2020年元旦、なんとなく区切りの良さそうなこの日にブログを始めることにしました。

 そして始めるからには、1年くらいは続けようと決意しました。

決意の朝です。

 

毎年、年末年始になると「来年の目標」や「今年達成したいこと」といったような主旨の記事やツイートをこれでもかというほど目にします。

私はこれらの、いわゆる「決意」なるものをほとんどしたことがありません。

 

1年というのは、あくまでも地球が太陽の周りを1周する時間を1年と定めているだけ。

本来ならば時間というものは連続しているという認識から、年単位の区切りについてはほとんど関心がありませんでした。

稀に年始に目標を立てることはあっても、コミットし続けた記憶はほとんどありません。

 

昔からずっとそうだったように思います。

学童期の「今年の目標を書きましょう」といった強制行事においては、とても苦労した記憶があるし、思春期なんて目標を立てるという概念すら思いつきもしませんでした。

大学進学→卒業→就職といった一連の流れの中でもその機会は訪れませんでした。

いや、機会はあったのかもしれませんがそこは持ち前のスルースキルを最大限に発揮し、決意を表明することなく2020年を迎えたということです。

 

いま思えば学校の学期制というのも疑問を抱いたことのひとつですね。

1年どころか数か月単位で、時間を区切って評価を下される。

これから続く何十年もの人生の中の、たった数ヶ月で何がわかるのかと密かに抗っていました。

 

私の志は長期スパン。

大局的に物事を考えたいタチなのである。

 

端的に言うと、ひねくれていたということでしょう。

 

そんな私がなぜ、ブログを始めようと思ったのか。

「きまぐれ」

この一言に尽きます。

土佐日記風に言えば、

「皆もすなる日記というものを我もしてみむとてするなり」といった具合です。

で、どうせやるなら1年くらいは続けてみようと思ったのです(毎日更新という意味ではない)。

あれほど嫌っていた1年という概念をさっそく持ち出してしまいました。

使ってみると便利なものですね。

 

ブログの方向性

一丁前に決意をしたものの、このブログの方向性、つまり何を書くのかという点に関しては現段階で全く思いついていません。

 

見切り発車です、オーライ。

 

書くことは決まっていませんが、日々何かしら感じていることはありますし、そこから思考を深めることも割と好きな方なので、そこは脳の赴くままということにしたいと思います。

 

日々頭の中に浮かんでは消えていく思考のカケラ。

それは泡のようなものだなという思いで、ブログのタイトルにしました。

泡が消えぬうちに、思考の足跡として記録していく。

そのような心持です。