カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2023.3.28(火)『水たまりで息をする』とか


毎日何かしら読んでいる。
現在進行形で読んでいるもの、あるいは読んでいないものから発生するあれこれを綴っていこうと思う。

 

私は大学進学を機に実家を出て一人暮らしを始めた。
19年前のことだ。
計算してみて驚いた。
もう19年も前のことなのか。
そのころから現在に至るまで習慣となっていることがある。
朝、シャワーを浴びることだ。
きっかけはもう忘れてしまったが、夜風呂に入り損ねて翌朝シャワーを浴びたとかきっとそんなところだろう。
それがいつしか習慣となり毎朝のシャワーが欠かせないものとなった。
実家でも旅先でも、一日の始まりはシャワーだ。
結婚してからは、義実家に帰省するときも朝から図々しく風呂を借りている。
「これがないとシャキッとせんとですよ。お義父さま、お義母さま、習慣っちゅうのはなんとも恐ろしいもんですな。がはは」

この19年のあいだほぼ毎日、朝と夜、一日二回風呂に入っていることになる。
よほどの理由がない限り、風呂に入らないことは考えられない。

 

 

夫が風呂に入っていない。

高瀬隼子の『水たまりで息をする』はこんな一文から始まる。
どうしたどうしたと先を読まずにはいられない冒頭だ。
主人公の衣津実は運送会社?で荷物の発送管理の仕事をしている36歳。
一つ年下の夫と都内で暮らしている。
ある日、その夫が風呂に入らなくなる。
理由は「水がくさい」から。
冗談でもふざけるでもなく「風呂には、入らないことにした」と夫は冷静に言う。
この時点では当然ながら衣津実も、読者である私も理解できない。
なぜ風呂に入らないのか、夫の身に何が起きているのか。

衣津実はこれを夫婦の問題と捉える。
においが気になるものの、夫を傷つけないように気をくばりながらいろいろと試してみる。
ミネラルウォーターで体を流したり、ドライシャンプーやスプレーを試してみたり、週末には自分も風呂に入らないことを実行してみたり。
金曜、土曜と顔だけ洗って過ごしているうちに自分のにおいが気になりだし日曜の夕方にはシャワーを浴びることになる。
そりゃそうだと思う。
何日も風呂に入らないという状況が想像できないのは、一日二度の入浴を習慣とする私だけではないだろう。
風呂に入らない理由もそうだし、私と同世代でもある夫氏のこと、そして衣津実との関係、気になってしまうことがいろいろある小説だ。
まだ読み始めたところで、30ページくらい。
このあと、物語はどう展開していくのか、夫氏は風呂に入るのか入らないのか、読み進めていきたい。

それから、これを読み終えたのちには同じく高瀬隼子の『おいしいごはんが食べられますように』が待機している。
そもそもは、昨年芥川賞を受賞したこの『おいしいごはん~』を読みたいがために、その前段階として『水たまりで~』を読んでいる。
何を言っているのか意味わからないと思う。
これは私の読書のスタイルというか性向によるものだ。
読みたいと思った本があって、それが未読の作家であれば、できるかぎり過去の作品に遡って刊行順に読みたくなる。
これはかなり時間と手間を要するし、そんなことしなくてもいいと思うのだが、もうどうしようもないのだ。
幸いにして高瀬隼子さんの作品はまだ3作しかないので、比較的容易に目的の『おいしい~』にたどり着ける。

そういうわけで、デビュー作の『犬のかたちをしたようなもの』に続いて二作目の『水たまりで息をする』を読み始めたという次第だ。